経理OLから
仕事をはじめて1年頃
笑顔と勢いだけで
仕事していたような・・
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Tomoe智惠 Watanabe渡辺
渡辺智恵が、経理OLからガーデンデザイナー
になるまでの経過を「夢はかなう」より編集。
>屋上緑化・壁面緑化 見学記
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わたなべ ともえ
環境再生医
渡辺 智惠
 将来の夢を求めて、再就職を2度経験したが、こんなに辛いとは考えてなかった。年齢的なこともあり、再就職先では「どうして結婚しないの?」という言葉をほぼ毎日聞かされた。
小さい時の夢は、「母のようなお嫁さんになること」だったのに・・・
自分でも答えが見つからない、この問いかけに精神不安定になっていたような気がする。
人前では明るくしていたが、夜、布団に入ると涙が止まらない日々が続いた。
  そんな中、当時、男性社員がなかなか合格できずにいたIC資格を知り、チャレンジしてみることに。
もともと興味があったことと、悔しかった日々がバネとなり、見事ストレート合格を果たすことができた。試験合格後は、周りの評価も変わりつつあったが、合格発表の1週間後に最愛の父を亡くしたことで、何もかもが空しくなってしまう。そんな時、目に止まった野に咲く小さな草花を見て心が安らぎ、これを生涯の仕事に出来たらと思うようになった。
一時の感傷だけではなく考えついたことは、この年齢からインテリアを始めるよりは、まだ皆がやっていない分野のガーデンコーディネーターは、今後仕事が増えると思えた。

コーディネーター業務は、お客様が欲しいと思うものを探し出し、それを業者に伝えるという仕事であり部屋の中も庭も区別はない。

それを決めてからは、もち前のパワーで、植物やガーデン設計に関する猛勉強を始める。
小出兼久氏のセミナーを経た後、会社を辞めて、フランス在住の宇藤カザン氏の造園スタッフ募集に応募した。
熱意がかわれて採用され、約3ヶ月近くのフランス滞在期間中にイギリス庭園めぐりも果たすことができた。

 ところが戻ったころはまだ、地元名古屋では、残念ながら、ガーデン設計の仕事や修行の場もなく、母を名古屋に残して、
就職のあった東京や大阪に行くことは考えられず、結局出した答えは、”自分で店をはじめること”。OL時代に貯めた花嫁資金をはたいて、とりあえず花屋を開店させたものの、文字通りゼロからのスタートだっただけに、試行錯誤と苦労の連続。
10年こつこつ貯めた貯金は10か月で使い果たした。金欠と睡眠不足で、事故をおこしたり・・・やめてしまいたいと思ったことが何度も。
しかし、母の名前から一文字取った「照花」という名の店をつぶしたくない一心で懸命に働くしかなかった。
そんな姿を見てか、その後いろいろな方に不思議と救われ、好きな仕事をなんとか続けさせてもらっている。

 人間は一人では、何もできず無力なもので、夢をかなえるということは、自分ひとりの努力だけではかなわない。
周りのだれかに助けてもらって初めてかなうものだと感じている。
人との出会いが、自分を変え大きくしてくれて、それがあって自分が努力できるものだと思う。

お客様はもちろん スタッフ・そして家族 自分の周りにいてくれるすべての人に感謝する気持ちを忘れては夢はかなわないと思う。
日進市街のテナントビルに花屋をオープンしたのは、平成9年春のこと。
独学で身につけたガーデン設計のノウハウは、以外にもICやプロの造園業者の人たちに好評。
移転を機に念願だった設計・施工の依頼も増え、花屋を廃業しガーデン設計の仕事に専念。

夢が簡単にかなったようではあるが、ここに至るまでは、長い道のりがある。
商業高校卒業後、大手企業のOLとなり10年、経理の仕事全般を把握した頃、先の夢が無く
退社。その後、某大手家具メーカーに再就職するも、やはり女性は、男性の補助としての役割のみ・・しかし、与えられた仕事は、いつも面白くなるところまで懸命にこなしてきた。おかげで経理やOA技術、そして、インテリアコーディネーターという資格も得ることができた。
すべてが独立した現在において必要不可欠な能力であり、とても感謝している。
インテリア産業協会 中部支部 1998年掲載 季刊誌「夢はかなう」より 2008年編集
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